[4217-113] うんにゃ 2006/02/07(火)01:48 修正時間切れ
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昭和20年1月、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ「講和へ向けての意見具申」があった。 その時に昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからのほうがいいのではないか。」と、戦争の帰趨に関わる重大な発言をしているのである。 勿論、その中には「もう一度戦果を挙げてからのほうが有利に講和ができる。」との希望は入っていた。しかし当時の天皇は現人神でありその発言は絶対であった。 「もう一度戦果を挙げてから・・・」の言葉が、「もう一度戦果を挙げてからでなくては講和の話は持ち出せない。」と、以後、最高戦争指導会議や側近を呪縛したのは想像に難くない。 |
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